◆私たちは、生きた芸術です◆

マリ子ダンスシアター主宰・講師・ダンスセラピスト・臨床心理士: 髙安マリ子 

髙安マリ子著 エッセイより 一部編集

真の文化人

食べ物、軽い体操、考え方、医師の選択、

ストレスマネージメントなど、

時代が変化し、

科学や医学でわかっている事がいろいろと言われています。  

「自分に合ったものを選ぶ力」 を

育てることが、課題といえるでしょう。

 

自分に合ったものを選べる力を持つと同時に、本当に自分の状態を、

私たちは知っているのでしょうか。 

最終的には、自分の生命は自分で見守るのが、自己責任となります。

 

この事を、自分の力で自覚し、生きる選択能力をつけること、

これは、どんどん変化する現代社会のシステムで、誰かに頼り、

教わることではありません。

 

この地球上に生まれた私たちが、その自然と共存しながら、

生命のつながりを感じ、それを大切にしていく過程で、

認知され、初めて、私たちの内側で生まれて、育まれる、知恵と責任です。

 

本当に必要なものを選ぶ為には、心が欲ばっていないか、知識があるかないか、

基本的な身体感覚の訓練を受けているか、受けていないかで、結果の出方に大きな差がでてきます。  

本来の体の教育は、内から身体、身体から内に相互に反映しながら体を育てるもので、

精神と共に育つのです。 

 

人間の文化性が育つ基になる身体・感受性の教育は、賞を出すといった『形』ではなく、

100年以上後の未来の人間を育てる事を目的に、子ども達をサポートし見守ることです。 

 

一人一人が目覚めるには、自分の『文化性』を磨く、まなざしが必要とされます。  

真の文化人になる為に、未来を生きる人たちを見守るためには、自分の豊かな存在を、怒りや憎しみを捨て、

愛するという行動で現す事が必要になるでしょう。  過去は過去。 今は、未来につながります。

心と体のバランスによって発見する新たな自分

あなたは自分を感じた時、どのように感じますか。

 

肯定・否定する自分、わからない・わかる自分、

知っている・知らない自分を感じて、

客観的に観れると、新たな自分の領域、発見ができます。

新たな自分は、今までの自分の思考パターンにはない、自分の存在です。

 

新しい自分がどんなになっていても、それを受け入れる、

柔軟な自分がいることで、 この体との関係が変わります。

 

『生きる精神』 『夢』 『希望』 を感じて、年老いて、死んでいく姿に、

 『幸福感』 と 『乗り越える力』 を 感じる、自分がありますか。

 

こういった事を感じて、視野を広げ、考えながら、分別をもって、距離をもって、

いかに本当の自分を知って生きるか が、

心と体のバランスです。

 

日本では第二次世界大戦で開戦国、敗戦国としての混乱やコンプレックスが、

意識化されずに終わりました。

そのまま経済産業の復興へと、突き進んだために、強欲に支配され、

自然な流れで、自分を生かす為の、大切な表現を失ったのです。

その為に、親子(家族)や社会の問題が、増えているのです。

 

この様な社会で、人間愛の反映、平和、自由を獲得できるのでしょうか。

今も昔も変わらず、同じようなジレンマの層で動いているようです。

 

新たな自分を発見する。

 

独自である自分を、知ることができるように、エネルギーの流れを感じ、

自分のからだの循環をよくするように、体を動かしてメインテナンスをする必要があります。

 

イライラ、ストレス、怒り、こり、固まり、詰まり、不安、恐怖、知ったかぶり、正当化、

防衛は、エネルギーの流れの悪さです。 

 

無意識で、自分がダメだと思いながら、意識のところで、自分を正当化すると、

後退させる要素になり、他人には隠せても、内面は意地汚く、意地悪にもなります。 

 

虚栄心と虚栄心は、傷つけ合います。

ネガティブな感情に疲れたり、頑固になって、成長がなくなります。

 

エネルギーがよい方向に動いていると、安心してリラックスでき、自分にも素直になれ、

愛や喜びで満たされ、クリエイティブで、幸福感があります。

 

良心がバランスをもちます。 

 

自立していると不安がなくなります。 自分の心に挑むことです。

依存していると自分との会話はできません。 自分にこだわると人がみれません。

 

想像力、自主性、共感と、バランスを、良心で感じることです。

 

私たちは、生きた芸術です。

 

毎日の生活が、心と愛にあふれる、ダンスと歌で満たされ、

死ぬ時には、生きてよかったと思える(人生)作品ができる事を願います。

 

本当の自分を知って存在を感じて踊ってください。

地球上の人間がみんなで歌って踊れる日はいつになるのでしょう。