高安マリ子

1957年生まれ。京都出身。

剣術を重んじる伝統的な家系で育つ。

1974年に心がわかる医者を目指し、16才でアメリカに留学。

 

オレゴン州のポートランド州立大学の臨床心理学部、舞踊教育学部を卒業。

そのまま11年間滞在し、舞踊教育学部の講師、心理療法士、ダンスセラピストとして働く。

 

1974年よりストアフロントシアター(Storefront Thetre)にて踊り、演劇、振付などオレゴンの舞台芸術の先駆者リックヤング(Ric Young)と共に活動。後に、日米文化交流、共同制作を手掛け、旧京都アメリカンセンターと共に活動する。モダンダンスの学校では、アルビン・エイリースクールの奨学金生、またマーサ・グラハムが74才の時にスクールに通い指導を受ける。ダンサー、振付師として、舞踊教育学部から才能を認められ、全教授より推薦状を獲得。

 

ニューヨークでは、劇場を超えた空間と場所の使い方に革新したトリシャ・ブラウンと親交があり、舞台装置と身体の動きを融合したアルウィン・ニコライ(Alwin Nikolais)とは、青山スパイラルホールのこけら落としで通訳やアシスタントを務める。他に、アメリカのモダンダンス界のパイオニアのマレー・ルイス(Murray Louis)、ダンスに偶然性などを取り入れたマース・カニングハムや、前衛音楽の第一人者のジョン・ケージとも親交が深かった。

 

ブロードウェイの振付師、ドナルド・マッケール(Donald McKayle)にも才能を認められ、アシスタントに抜擢される。ブロードウェイでは、ミュージカル「ヘアー」の振付の一部の担当者に選ばれる。アルビン・エイリースクールでも指導しており、デビュー前のマドンナも生徒の1人だった。

 

ヨガは、カリフォルニア州で、インテグラル・ヨガの創始者、スリ・スワミ・サッチダーナンダ師(Sri Swami Satchidananda / 1914~2002)に学び、マスターした。ハタヨガをベースに、呼吸法、座法、アサナ、瞑想まで、統合されたヨガを習得している。

 

創作活動では、剣術の基本となる精神的な鍛錬を、現代のダンスの動きの言語に移している。

 

持病のリウマチ熱から、身体とこころのバランスを見つけ、自分の心を開くことによって、自身の精神に革命を起こし、身体機能が回復するという人間の可能性を理解し、ほぼ完治させる。彼女のソロ「曼荼羅」は、人間の可能性を理解するためのライフワークである。

 

初期の曼荼羅は、神社や庭園で踊られている。作品は、家系の伝統と身体と向き合い続ける劇的な経験の両方を反映している。彼女はダンスを「生死の意味を、身体を超えて知るための方法」とみている。

 

1983年、京都にマリ子ダンスシアターを設立。アメリカンバレエシアター初期のプリンシパル、ジョン・ジョーズ(John Jones)の協力を得る。ダンサー、振付師、ダンス講師、セラピストとして活動。彼女は「私達は、自身が、音楽でありダンス。内なる感覚と感情の表現は、愛と思いやりのダンスや音楽となって、全てと調和するために存在し、私達はここにいる」と話している。



写真は、スイス・ローザンヌ・テキスタイル・ビエンナーレ・オープニングにてパフォーマンス

NAWA Sculpture by Mariyo Yagi